昭和52年06月05日 朝の御理解
御理解 第19節
「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」
金光様がお隠れになって、金光教が段々発展してまいりました。二代様、三代様、時代を追うて、金光様は世に触れる様になってまいりました。それは教祖金光大神の働きが、まあ言うなら、自由無碍の世界言うなら、金光大神を唱えする所に、金光大神お取次の働きが始まって、起きてきた言わば現象である。おかげの事実である。ただ限りなくそれが広がって行かなければならない。
ところが最近では金光教がじり貧的な状態にある、ついこの頃まで信徒60万と言うておったのが、50万にいつの間にか減っておる。金光様のご信心はどこまでも成程、教祖金光大神は来てくれという所に行ってやる事は、もうそれこそ時間とか空間とかというものを問わずにお働きが出来られる、と言う事なんだけれども、それだけの繁栄のおかげを受けたら、そのおかげをおかげと実感して、おかげに対する信心がなされて行かないと、駄目だと言う事です。
おかげを受けて行く者、言うならばおかげを受けて、それを愈々広げて行く人達が、おかげをおかげを受けて、そのおかげの広大さ広さ、ね、その広大さに対する信心が出来て始めて、次にまた広げて行く事が出来るのです。只金光大神の働きというものが、ならこれほどしのまあ言うならば様々な宗教が、何千年の間に出来ていわゆる大宗教と言われる様な宗教もあるんですけれども。
それこそ今までかつてこういう教えを頂いた事がない。また天地金乃神様とても、かつてこの様な氏子を見た事がないと言われるほどしに、天地の親神様からも称えられ、ご信頼を受けられて、そして真の宗教とは、ね、本当の宗教とは宗教とは、「うかんむり」に「示」と書いて教えると書いて宗教である。金光大神この方が天地金乃神よりおかげを受けた事を残して置く。天地金乃神様から、ね、お示しを受けられた事その事が、教典言うならば御教えになっておる。
まさに矢張り名宗教だと宗教とは天地が示された事、それを教えるのが宗教ね。学問で生まれた宗教でも、ね、霊的な霊能的な働きで奇跡を生み出した、そして広がったという宗教ではない。仏教はまあ言うならば超哲学というふうに言われます。お釈迦様の言うならば頭脳から言うならば現れた宗教。キリスト教はキリストが現された奇跡が基だと言われております。キリスト教の信心をするなら、まず処女受胎を信じなければ、キリスト教が成り立たないと言う様な、言うなら奇跡から生まれた宗教だと。
他の宗教はもう五十歩百歩、五十歩百歩です。天地金乃神様のお心を、教祖金光大神がお受けになられて、それを様々あらゆる角度から皆に伝えられた。それが時代を追うて進展すると共に、なら合楽ではその教祖のお言葉を、又愈々広く深く皆さんに聞いて頂いておるのが、現在の合楽の信心だと思うです。それも広く深くというても私の頭脳からとか、ね、私がそうだろうと思うと言う様な事ではなくて。
神様のお示しを頂いて教祖のこのお言葉の中にはこういう広い深い意味合いがあるんだぞと言う事を頂いて、皆さんに聞いて頂いております。だから正しく素晴らしい、言うならば名宗教なんですけれども、またとない宗教なんですけれども、ね、そこに宗教に伴なう所の、言うならおかげの世界。そのおかげの世界が、ね、言うならば百に広がり千に広がり万に広がっていく。その時にはもう既に万の力が出来ておらなければならないという事。ただむやみやたらに広がるというのではないと言う事。
私はこの事を昨日ほど実感した事はなかったです。昨日は神愛会でしたから、先生方みんな研修をさして貰いました。だけど本当にやっぱひとつ、末永先生でしたかのお話の中からのヒントを、徹底から話した事でしたけれども、合楽の信心というものが矢張り、私が言うならば、ね、昨日も申しましたようにです、こういう素晴らしい有り難い教えをです、世の中の全ての人に徹底して分らせれる手立てはないもんだろうか。ね。
又こういう素晴らしい事がどうして、言うならもっとこう広がって行く事にならないのだろうかと。こういう思い方こういう生き方になれば人間がこの様にも幸福になれる助かる道がある事を確信すればするほどに、この私の思い信心を人に伝えなければおられないのですけれども、ね、さあそこが力なんです。私に100人しか持てない力に、んなら、三味線太鼓で宣伝して回って、ほうそげん助かる所があるならと言うて、どうっとまあ、し寄せたと致しましてもです、ね。
私に千人なら千人の助ける力しかない者が、どんなに素晴らしかいどんなに美味しい物があると言うても、そこに100人分なら100人分の食べ物があるとするのに、150人が集まったら他の人は、ひもじい思いをしなきゃならんじゃないですか。ね。結局信心の充実と言う事なんです。いかに神様、教祖様がです、「形がのうなったら来てくれという所へ行ってやる」と仰せられる。
それこそ天かけり国かけり、世界中をですね、駆け回ってお助けを頂き、お取次ぎを下さる働きが教祖金光大神あると致しましも、それを受けて立たせて頂く私どもに力がなかったら駄目だということ。ね。椛目時代に神様から「親が死ぬ」というお知らせを頂いた。もうびっくりしましてねお願いさしてもろうた。そこで神様その時分は、例えばお祭り替え、ね、と言った様なお話が沢山でたことがあっておったけんですから、ね、神様今例えば両親が亡くなるとするなら、もうそれこそ目も当てられません。
何故かというと、私の信心の始まりはこの親に喜んで貰いたい、孝行したいばっかりの一心一念で私は本気の信心がさして頂く事になったんです。それは思うにまあだようやく人が助かり出したとはいうてもです、ね、椛目のあのそうその時分の頃ですから、まあだ6畳と4畳のお広前でお取り次ぎさして頂いておる頃ですから、この状態の時に親が亡くなる、なんて言うなら親に喜んで貰う事も出来ません。私もこれは願、神願これが願いの芯でしたんですから。
私が本気で打ち込ませて頂いた。引き上げて帰ってきた。それこそお粥さんすら腹いっぱい食べさせられない様な状態で、とてもこれではというのが、一心不乱に信心を求め頂く事に成って来たんですから。ね、その親が今お国替えになるなんて言う様な事になりましたら、もう目も当てられん事です。私の願いがもうそこで崩れてしまいます。そこで神様あの両親が、ね、愈々喜んでくれ安心してくれるまでは、長生きのおかげを頂かせて下さい。その代りにそんなら、ね。
子供のこの時分に3人か4人かおりましたが、どの子でもよいからお引取りを、まあ本当に申し訳ない口でこう言ってますけども、そん時の私の気持ちというものは、もうそれこそ子供に替えてでもというのですからもう、本当にね。よく考えてみますとその時には、お葬式のいわゆる御神願を頂いて、こんな事なったんですけれども、そしたら神様からね、「かわいい子供と言わずに、どうしてなら自分の命を縮めてでもと言わんか」というお知らせを頂いたんです。
だからそれは神様私はようやく今、ここでこちらが例えば命の事を考えた事もなかった。取次者になるとか人が助かる事のためと言う事じゃなかった。ただ大坪一家が助かりさえすればええ。親孝行の出来る様な信心が出来れさえすりゃええ。まあ言うならば大きな商売もこうさせて頂いて、なら教会の御用なんかがどんどん出来さえすればもうそれは最高と思うておった。所があにはからんやである。ね。とにかく私の話を聞いて、どんどんどんどん人が助かるようになり。
それこそ門前市をなすと言う様な雰囲気がもうその頃見えておった。ですからそういう働きが起きておる矢先に、もし私の命を縮めるとか、私を親の代りにと言う事になったら、これは私の願いは成就しても、神様の願いは成就する事にならないから、これは私が今しよるわけには参りません。と申しました途端にね、あの3級ぐらいになって、あのラジオから6級の、あ6級でしたかね、とにかく世界中の、あのラジオが聞けると言う様な高度な、あのラジオを頂いた事があります。
うんそしてそれはお試しであったことが後では分かりました。ね。おかげで子供もお引取りを頂くような事もなからなければ、両親も本当に愈々安心し、喜んでくれてね、もう合楽の言うならば隆盛、ごひれいの中に半年おきに、なら93歳という高齢を持って、母は83歳ですね、でお国替えのおかげを頂いた。ね。もうこれよりもう言う事はないね、私、親に孝行したいという気にはもう、ね。
それこそもうあの、南の部屋を極楽部屋というくらいに夏は涼しくて、ね、冬は暖かい。それこそ前にはもう四季折々の花が咲き乱れて、泉水があってヒゴイ、マゴイが泳いでおる庭を前にして、もうそれこそこれば、ば様これはじっちゃまにというて、皆さんが持ち寄って下さる、それこそ甘いもん辛かもんの全てがあの部屋に集まっておるようなおかげを頂いております。
私の一念を神様が聞いて下さっておる。だから合楽ではもう親に孝行しようごうしてたまらんと言う様な心がなからなければおかげが頂かれん。親に心配かける事が平気な様な人は絶対おかげ頂かんです。頂くはずがないです。もう合楽理念の根本は親孝行だとさえ言われるくらいですから。ね。その例えばね、天地の親神様という方は、言うなら電気体のようなお方である。ね。
ですからそれと同じ働きが現われるのが、んならラジオとかテレビとかなんです。ね。又は発動機ですね。言うなら馬力が違いましょう、ね。例えば10馬力のに15馬力に働きを機械そのものでも、現す事が出来ない様に、こちらの信心が10馬力になった時には、10馬力の働きを現す事ができる。ね。100馬力の働きを現す事が出来る様になったら、100馬力の広範囲におかげが頂けれると言う事をです、私が知って今日のこの御理解を頂かにゃん。
金光大神様は形がのうなったら、もうどこにでも行って下さって、それを世界中になら、おかげを下さると言う事はできんのである。段々合楽でも力を頂いて言うならば南米の地に、言うなら合楽元年と言われる様なごひれいを頂いて、段々それこそ金光教が始まって118年。もうそれこそ前代未聞です。ね。外地で外地の人に布教するという、ね、ブラジル人の人が次から次と助かって、二人助かれば次には5人。5人助かればもう十人と言う様に、ね。
まあだ行って一月ぐらいしかならんのに、そういう働きが、験が見えて来たと言う事は合楽の力です。ね。言うならそれだけ広範囲に金光大神お取次ぎの働きが、現し得るだけの力が出来たと言う事なんだ。ね。そこでです昨日私はこの頃とても不思議に思う事がある。もう家族中の者が病気をします。ね。ここ2,3日は椛目の方がもう全部倒れております。妹があんな強い人ですけれども、具合が悪くて2,3日休んでおる。まあしよったら今度は愛子が倒れた。
昨日勝美さんが、お礼あのそのお届けに出て来らせて頂いたら、今度は昨日自分が倒れた。もう家族3人が子供だけが残っておると二人。ので家内があっち行ったりこっち行ったりでお世話が大変。家ではもうそれこそ直子が死ぬか生きるかちゅうごたる状態です。毎日、まあ難儀をしておる。それに恵美子さんが寝ておる、良子さんがどうかある。子供たちがどうやらこうやらみんながある。私も先日からあの熱発して、こうへんとう線が腫れて、一日ではありましたけれども、休まして頂くと言う様な事。
昨日も研修ん時に、若先生が出てきておりました。何かタオルを濡らしたタオルを持って来て、この耳のここん所をこうこうやってからしよりますもん。はあ今日また何かあの、まあ普通で言うなら中耳炎か何かちゅうてでしょうが。耳が痛みよるなと思うとりましたら、いつの間にかもう立って行っておらんごつなりました。そこですぐそこで神様にお願いをさせて頂いたんです。ね。
所がねここの所を、なら皆さんが聞いて頂かなにゃいけん。ね。これほどしのおかげを頂いておる、言うならば合楽のごひれいが海を渡って、南米にまで渡るほどしのおかげを頂いておる。ね。所がそれだけおかげを頂いておるにも拘らず、修行が足らない力が足りない。そこで言うならば家族、親戚の者の上にそういう働きが起こって、ね、神様が言うならバランスをとって下さる。おかげと信心のバランスをとって下さる事のために、今家族中親戚中の者が病気をしておる。
言うならばそのバランスをとるための修行であると言う事を昨日お知らせ頂いて、まあその事を先生方に聞いて頂いた事でしたけれども、ね。言うらば100馬力なら100馬力の力を頂いたから、ね、100馬力の働きを現さなきゃ、現しておるわけです。ね。所がおかげの方は、もう110馬力のおかげにまで伸びておる。そこで10馬力だけの信心が足りないから、神様が修行を求め給うのだ。
そこで私共がです、分からして頂かなければならない事は、難儀とか苦労とかこれを一切、修行として神様が受けて下さるわけですけれども、そういう金がないの、体が弱いのと言った様な事で、修行をするよりも、んならもちっと有り難い意味においての、信心修行。朝参りが出来てなかったら朝参りの修行。ね、日参が出来てなかったら日参の修行。本気で合楽理念をマスターして、本気で合楽理念に取り組ませて頂く、心行そのものをですもう一段とあかぬけした。
もう一段一回り大きい信心にならせて頂いた方が、神様もお喜び私共も、つらい苦しいと言う事言わんでもです、ね。ならこれ若先生だけのことじゃありません。けれどもんなら若先生が自分で、あぁこんなこっちゃいかんこんなこっちゃいかん、と思うておる事を改めて、ね、そこにすきっと次の信心に飛躍したときです。ね。バランスがとれる。んなら痛い思いをせんで済むわけです。この頃も毎晩ですけれども、夜中に恵城が私の部屋にやって来るんです。
昨日も私したら一人で暗いとこ来よりますもん。ったらどこに行きよる。おばあちゃんの所って言ってから行くのです。お父さんがずうっとその、あの寝せんわけです。そしてそのお広前をぐるぐる散歩して回らにゃでけん夜中に。妙な事をするね、妙な事をするねって言いよりましたけれども、これもやっぱり親父が修行が足らんもんじゃけん、神様が引っ張って回りよんなさるわけ、夜中は寝きらさらんわけ。そいでもうあんまり言う事を聞かんもんじゃけん。
親父もほうからかしたもんだから、昨日一人だけそのやって来てとったとです。そいで今度ばあちゃんを起こしてから、これから今からテレビ見るとかっちからですね。そしてテレビを夜中にひいた途端にテレビが崩れましたです。もうとにかく不思議な現象がね、今、合楽教会全体の上に起きておる。と言う事はこれほどしのおかげ、なら金光大神に来てくれという所へ来て下さり行って下さって、南米の果てにまで金光大神の働きを頂いておるというだけでは済まされない。
そういう働きを受けるためにはです、ね、例えて言うならば、合楽の信心の徳というものが、その電気器具なら電気器具の上に現れてくる。タンキョがロッキョになり、ロッキョの言うならばラジオがテレビに変わり、ね、そのテレビが大きなテレビに替わり、カラーテレビに替わる。最近では月次祭のたんびにお月次祭の様子をここでテレビを映す事が出来る様なお供えまで来ておる。月次祭のお説教を、もういつでも聴けれるようなおかげ、もうこれは大変な飛躍なんです。ね。
そういうおかげがそういう形に現れておるわけです、ね。だからそういうおかげを頂いて、なら合楽のひれいというものが、極まっていくと。ね。ラジオからテレビ、テレビからもう自分の家でそれが出来る様な所までおかげを頂いておるから、それにふさわしい神様は修行を求め給うわけなんです。ね。だから皆さんでも難儀と思うたり、感じたりしたらです、頂いておるおかげを思うてみなさいって、ね。はあ本当に思うてみりゃあれもおかげこれもおかげ。
とても私ぐらいの信心でこげなおかげを頂いてと、おかげを実感するのにも拘らず、困った事が起きたとしてきたならばです、ね、そういうおかげに対するバランスをとるために神様が修行を求め給うのであるから、そういうきついとか苦しいという修行ではなくて、有り難い信心修行に、言うならば心行に合楽理念の、言うなら一種いわゆる確立ですね。合楽理念の確立に精進さして頂くことによって、言うなら力が愈々、力を増す事になり、働きを受ける事になるのです。
いかに金光大神が来てくれと言う所に行ってやると仰っても、ね、力なしには頂けないと言う事です。だから自分の所に、今百のおかげを頂いておると実感する人がです、それでもまあだ難儀を感ずるならです、これはおかげの方は百五十も頂いとるとばいなと思うて、足りない五十を信心修行に打ち込むという生き方を身につけていかれたら、増々言うなら輝かしいおかげになって行く事でしょう。
愈々金光大神が、ね、来てくれと言う所には来て下さって、ね、取次ぎの働きを現して下さる事が出来る。現して下さったらそのおかげに対する、ね、足ろうた信心修行が出来る。しかもこれはもう限りない、そこん所をまあ一生が修行じゃと仰られる所です。限りないおかげを頂きたいと思うならば、限りない信心修行の進展がなされ、そこに工夫がなされなければならないと言う事で御座います。
どうぞ。
ここで音声御理解終了以下は別の御理解(上重)
昨日はねもう本当にあのう、次々と大変なおかげを頂いてお礼に出てきた人が何人も続いておりましたが、昨日文男先生の家内が昨日、お礼に出てきましたものでした。そりゃもうそれこそもう、もうそれこそ感動いっぱいで、今文男先生達が京都の方へ行っています。恐らく今日帰るんですかですがその、昨日の晩にですね強盗が入った。それでちょっと目が覚めたら、その時上に出刃包丁がこう突きつけられておるんで、もうびっくりしてね、その起き上がってからですね。
その強盗の方へどどのようにして行ったか分からないけれどもこうやってその、行ったのでなら強盗の方がこうこうして下がって行ったそうです。所が次の日の朝になって行ったげなって、そやけんまた次の部屋まで行ったそうです。そしたらもうそれこそその、出てきた所から、その逃げて行ったというのです。もうそん次の部屋行ってから出刃包丁ばね、こうつつけちからこうこうやって(ひざつてんけなもん?)、そう自分はなにをしたか解らないなりに、向こうに押して行ったわけですたい。
そしてもう金光様ぁっと言うてから、どっしりと坐ったのと逃げたのが一緒じゃった。なら、もうどっしりと坐ったというより、腰が抜けていたのですよあれは。ゅうより腰抜けとったですよあれは。いや本当そうですよ。これはもう本当にもうそれが先生もう本当にこれこそ、あの、大祓い信行が始まってこの方一晩でも欠かした事がなかった。所がその晩に限って、ご無礼して休んでおった。ね。
後からちょっと起きてから夜中にでも、しようと思うて仮寝をしとったのがね、もうそのまま眠ってしまった。とまあ本当にご無礼ないっつも、その帰る時もです文男さんが月次祭でこちらに来とる時でしたか、今度もあの文男さんがいない時にこう言う事が起こって、けどもまあおかげを頂いて、難なしのおかげを頂いたというお礼のお届けに来ました。だからおかげを受けると受けないというのはね、本当紙一重ですばい。もうそれこそあのう、それこそタンジキ起こる一歩手前ですよ。
そらばってんどうその次の部屋まで行ったと、それが自分じゃ分からん。そしてもうそれこそ金光大神様と唱えて坐ったのとその、逃げたのと一緒であった。だから出刃包丁だけ盗られた。勝手から入って来た。ね。昨日は熊本からその「まさのぶ」さんがおじさんにあたりますけれども、もう、もう絶対助からんというような病気でした。それで自分が運転してお礼に出てみえました、ね。
まあ本当にそういうね、もうそういう例えば働きというものは、もうその合楽の言うなら発動機が発動が起こっておらなければできることじゃないです。ですからそう言う事が、それなら合楽にです、ちょっとそれなら欠けたら、私どもの信心修行が少し、なら百の力を頂いておるのに、ね、九十にもしなったとするなら、なら十の人はおかげを落とさなきゃならんことになるんです。
そこでおかげを落とさせではいけないから、なら今家族中あげてなら病気と言った様な事で、修行さして下さっておると言う事を昨日頂いて初めて分かったです。でなかったら信者がおかげを落とすします。それも本当に紙一重です。ね、頂く頂かない。そういう働きが合楽には起こっておると言う事。言うならば小さいラジオ程度から、現在ではテレビ、しかもテレビをここで映して頂けれるほどしのおかげに段々進展していっておるという事ですから、皆さんの信心とても矢張り、ね。
進展していかなければバランスが崩れるから難儀なことが続くわけです。ね。ですから、その、続く難儀をそのまま神様が求めておられる修行ですから、それならそれを甘んじて受けるというのではなくて、それだけに変わった信心修行の方へ切り替えていかなければいけないと言う事、ね。